現在の桜並木付近
大正初期の東中野駅付近(甲武鉄道)

プロフィール

会名: 氷川町会 

エリア: 中野区東中野1丁目10~14・24~35・51~59番

世帯数:2,282世帯 

(参考:28年4月中野区住民基本台帳)

 

町会の仕事・会則

 

氷川町という名前は1931年(昭和6年)に成立。1966年に住居表示が変更され東中野1丁目となる。町成立以前の旧地名は中野町中野。 もっと昔の中野村時代は「原」「桐ケ谷」と言われていた。(畑と原っぱだった)

町名は昔から氷川神社があるので「氷川町」となった。

JR東中野駅は中央線(中央・総武緩行線)、都営大江戸線の駅がある、各駅停車しか止まらない駅である。

駅の歴史は古く、1906年(明治39年)甲武鉄道「柏木(かしわぎ)」駅として開業。1917年(大正6年)1月1日 -「東中野」駅に改称し現在に至る。

2014(平成26)年2月からホームページの運用を開始。2020年11月から運用停止中です。

昔の地図
明治21年頃の氷川神社の付近。周りは畑と原っぱです。
金竜座、銀竜座は映画館だった
昭和31年の地図 氷川町と川添町が東中野1丁目となった。現在と見比べてみてください。金竜座、銀竜座は映画館でした。

 氷川町会は、東中野駅から南側に山手通りに添って、大久保通りの手前までを中心とするエリアです。「氷川町」の名称は氷川神社から付いた名で、旧中野村時代は、この一帯は「原」と言われていたようです。

  氷川神社の裏手は、屋敷町の風情がのこり、大谷石の石垣と長い坂道が続き、今でも映画やドラマのロケなど で使われています。三十年近くかかった山手通りの工事も終わり、駅前広場の工事を残すだけとなりました。駅から近いこともあって、マンションの開発も盛ん ですが、町会の中を歩いてみると、所どころ昔の屋敷町の面影が残っています。

町会の区割り

町内を1区から9区に分けて担当しています。